スポーツジムで働くトレーナーblog

フィットネスクラブでパーソナルトレーニングをしているトレーナーです。トレーニング関連の話、フィットネス業界の話、健康関連の情報・ニュースなどについて書いています。

今更ながらRIZIN、シバターvs久保優太についての感想 その二

前回に続き、シバター対久保優太について思う所を書いてみます。

 

そしてやはり前回と同様に、この問題はRIZINの前進であるPRIDEを見返していくと理解が深まるように感じます。

 

90年代後半から2005年頃まで熱狂を生み出していたPRIDEですが、「熱狂」と言ってもその熱は広範囲に伝わるものではなく、格闘技ファンたちの間での熱狂に止まっていました。

寝技を含めた総合格闘技は、何も知らない素人がチラッと見た際にどちらが攻めていてどちらが守りなのかが分かりづらく、さいたまスーパーアリーナという大会場で派手な演出の下に開催される大会であっても「マニアが観るもの」という枠を超えることができませんでした。

 

それに対して、PRIDEが始まるわずか3年前の1993年に始まったK-1は「ヘビー級選手たちのキックボクシング」でした。立ち技だけの試合なので素人にも分かりやすく、体重100kg前後の大きな選手たちの試合はテレビ映りも良かったこともあり、「これまで格闘技なんて興味もなかった人たち」を取り込むことに成功しました。

K-1もPRIDEもその当時はフジテレビでゴールデンタイムに番組放送されていましたが、視聴率が高かったのはK-1の方です。

 

大会を重ねていくうちにK-1は「プロ選手同士のハイレベルな技の攻防よりも、見た目のインパクトが大きい男同士の殴り合いの方が視聴率が高くなる」ということに気がつきます。当時のプロデューサーだった谷川貞治を揶揄する「谷川モンスター路線」という言葉の通り、K-1は「実力者よりも話題性重視の路線」を進むようになります。

批判も多かったモンスター路線ですが、客観的に考えればこれは正解だと言わざるを得ません。テレビ局が関わっている以上は何よりも視聴率を取ることが優先されることになります。

番組に求められるのは「お年寄りから子供まで誰にでもわかるわかりやすさ」であり、悪い言い方をすれば「バカでも分かるもの」を出すほうが優先されます。テレビなどのマスコミはマス(大衆)になればなるほど人はバカになっていくことを十分に理解していますから、「一部のマニアからのごもっともな正論」よりも「大衆にウケてお金になる間違い」を選択します。

2003年大晦日の曙対ボブサップを覚えている人も多いかも知れません。

まさにモンスター路線を象徴する試合で、瞬間的に紅白歌合戦を越える視聴率を取りました。

 

同じく2003年からPRIDEも大晦日興行を行うようになり、フジテレビがそれを放送する形を取っていましたが、PRIDEの大晦日大会は「男祭り」というサブタイトルが付けられ、その言葉の雰囲気の通り「マニア路線」を追求した対戦カードがいつも組まれていました。

しかし、2003年の曙・サップ戦があったためにPRIDEにも「視聴率のために話題性を…」という声が内外からも出てくるようになります。

 

2005年の大晦日には、今ではサマースタイルアワードの開催者となった金子賢が「スペシャルチャレンジマッチ」としてPRIDEのリングで試合をしました。この時の対戦相手はRIZINで木村フィリップに7秒でKO勝ちしたチャールズ・クレイジーホース・ベネットという下品なアメリカ人選手でした。

格闘技ファンからは全く注目されなかったこの試合でしたが、テレビ放送で最も視聴率が上がった瞬間は実はこの試合だったのです。

2005年大晦日五味隆典対桜井マッハ隼人、マークハント対ミルコクロコップ、小川直也吉田秀彦など”ものすごい対戦カード”が並びましたが、世間一般に響いたのは金子賢のチャレンジだったわけです。

 

今回も前置きが長くなりましたが

熱狂を生んだPRIDEですら「その程度」なわけですから、格闘技熱がすっかり下火になってしまった現在では特に大晦日のビッグマッチとなれば「話題性と視聴率」を稼ぎに行かなければならないことは明白です。

朝倉兄弟は確かに有名ですが、対戦カードに朝倉未来vs斎藤裕と発表されても「よくわからない」という人の方が圧倒的でしょう。

比較的安めのファイトマネーで試合に出てくれて、そこそこの格闘技経験があって、むしろ選手よりも知名度が高く、テレビに映せば手っ取り早く視聴率が稼げるという便利で使い勝手がいい人物がシバターであり、そんなシバターの対戦相手としてこれまた丁度いいところにいてくれたのが久保優太だったのではないかと思います。

 

つまり

ユーチューバーに頼らなくてはならないほど現在の格闘技は人気が落ちてしまったということ、これが今回の八百長騒動の根本であり残酷な現実だということです。

少し前にRIZINでは那須川天心堀口恭司という世紀の一戦を行いましたが、一昔前の魔裟斗対山本キッドが集めた注目度とは比較にはなりません。

 

シバターは自身もアマチュアセミプロレベルの格闘技大会に数多く出場していますし、年齢的にも格闘技バブルが最高潮だった時代を知っているはずです。そのころと比較した日本格闘技界の現状と、ユーチューバーとしてどんな内容の動画がウケるか(いかに視聴者がバカであるか)を熟知しているでしょう。

試合の勝ち負けを含め「視聴率が取れた」という結果を残せたならば、秋山ヌルヌル事件のように「謝罪をして後は何を言われてもスルー」を貫けば大丈夫=視聴率という後ろ盾がある以上大会関係者やテレビ局も表立ってシバターを批判しづらくなるということも理解していたと思います。

 

都合よく自分を利用するならこっちから利用し返してやる、とシバターは考えたんじゃないでしょうか?