スポーツジムで働くトレーナーblog

フィットネスクラブでパーソナルトレーニングをしているトレーナーです。トレーニング関連の話、フィットネス業界の話、健康関連の情報・ニュースなどについて書いています。

「できない」を「やりたくない」と素直に認める

「”できない”は”やりたくない”を言い換えているだけだ」と
本屋でウユニ塩湖という湖の写真集と偉人たちの名言をまとめた本を立ち読みしてみたらこんな言葉が出てきました。その通りだなと実感しました。
(本は買わなかったのでタイトルは覚えていません)
 
「できない」「できる」は「成功」「失敗」のようなものではなく
「ここまではできる」「ここからはできない」というように
段階や程度、レベルのようなものがあると思います。
「1時間はできない」けど「5分ならできる」という感覚ならば勉強もできるし、続けられます。
筋トレなんかはこの感覚の方が大事で30分でいいからやろうとか
5分でいいからやろうという人の方が効果は出てきます。
 
今日は医療系国家試験の試験日でしたが、国家試験とか大学センター試験とか自分の運命がかかったような試験を受けるような人はこの感覚で勉強しないと絶対合格しません。
 
同じように「時間がない」というのも”やりたくない”の正当化だと思います。
「時間がない」を詳しく見ていくと
「本当は〇〇をしたいんだけど、時間がなくてできなかった。だからできなくても仕方がないんだ。」ということになります。
 
結局ただものぐさでやりたくないことを
「大きな何かによってできない状態にさせられた」から
「仕方がない」「しょーがない」ということにしているだけだということがわかります。
 
やせたいと言っているくせに太り続ける人が良く使う言葉が
「つい食べちゃった」です。
 これも
「わたしは本当にやせたいんだけど、得体のしれない何かが私の口に食べ物を運んできやがった」ので「仕方なく食べてしまった」
と「やせたいくせに食べたいというわがままな自分」を正当化させてるだけにすぎません。
 
「時間がないから仕方ない」を習慣にしてしまうと
「今年は忙しくて時間がなかったから何もできなかった」になり、そのまま「時間がなくて何もできなかった人生」で終わってしまいます。
「つい食べちゃった」ままでいると「つい食べ続け」て「やせられない」ままです。
 
ただ、自分で書いていてもこの習慣を完全になくすことは難しいだろうと思います。だから自分でやっていることは認めること。
「私は体を絞りたいくせにお菓子を食べる」とか
「〇〇はやりたくないから時間がないことにします」と自分で認めるだけでかなり違います。
ベッキーみたいにとことん認めないよりはずっと効果的です。