前回記事の続きです。
私が経験したうつ症状からの脱却には色々な要因と根本的な解決がありましたが、改めて振り返ってみて「この人のおかげだ!」と思える人としてまず頭に浮かぶのはその「話を何度も聞いてくれた人」です。
その人自身の優しい性格もあると思うし、逆に言えばその他の人がいかに本音ではなく打算や「こいつと組んでおくほうがいい」というメリットを計算して付き合いを持っていたかということの証明でもありました。
その人というのは一般的に言えば「仲良し」というほどの関係ではありませんでした。職場で会えば普通に会話をしますが、しょっちゅう一緒にどこかへ行くというほどではなかったです。
なぜその人が最も印象に残り、今後も連絡は取り続けたいなと思える人なのかというと、「中身がある人」だったからだと思います。
私には「一緒にトレーニングに行きませんか?」と誘ってくれるスタッフがいましたが、そのスタッフに相談しても何の解決にもなりませんでした。
そのスタッフは中身がないのです。やりたいことや目標というものがありません。消防士になるという目標はありますが、それは「安定のため」です。
いい給料をもらって、休日もしっかりとれる(民間企業よりも多く)、仕事は基本的ルーティーンが決まっていて頭を使うことがない、社会的にそれなりに地位もある(モテる)ということで消防士や自衛官は人気の職業だそうです。
彼が消防を目指していたのはまさにそういったことのためでしたので、そんな人からはポジティブな考え方や発想などが出てくるわけがありません。
それに対して、その何度も話を聞いてくれた人は違っていました。
人生が終わっちゃった感じがするんだよ・・・・と私が漏らすと
「家があるだけで最強ですよ!いくらでも大丈夫ですって」
「人とのつながりを大事にしていけば後につながりますから」といった具合に
一言に対してそれを何倍にも増やして返してくれました。
それも、何回もです。
恥ずかしい話ですが、
午前中から「今、ちょっと不安定・・・頼らせてくれ」などをLINEをその人に贈ったことも何度もあります。
そのたびに毎回違うメッセージを最低でも2行くらいの文にして返してくれました。
おそらく3か月くらいはそんなやり取りをしていたと思います。
ありがとうという言葉が本当に心の底から出てきたのは
この人くらいなのかもしれないと思えるくらいでした。
この差は何か、というと消防を目指す人とは違い、その人自身に「ぶら下がる」という発想がないのです。自分が何をやりたいのかが行動の判断基準にあるため、常に頭を使っているのです。ですから一言に対して何倍もの発想が出てくるというとこなんですね。
多くの民間企業や公務員でも「自分なりに目指すビジョン」というものを持って毎日の中でも少しずつ前進している人というのはそうそういるものではないでしょう。
ですから、精神的に辛くて上司や同僚に相談をしても何の解決にも、症状の改善にもつながらず、アルコールに頼ってしまったり、薬漬けになってしまって余計に病んでしまうことになるのです。
「健康の切れ目が縁の切れ目」とでも言うのでしょうか、そうやって入院などするようになってしまうと周囲はあっという間に他人に変わっていってしまいます。
うつに苦しんでいる人はどうにかこうにかして「話を聞いてくれる人」それも「何度も聞いてくれる人」を探すことです。
運もあるし、大変な作業です。
宗教団体というのは基本的にその二つを満たしてくれるわけですから、心の救いを求めてどこかの団体に入信している人も多いですけれど、それはお勧めしません。
何度も話を聞いてくれる人を、なんとか見つけてください。