以前にも同様のタイトルで記事を書きましたが、トレーナーという仕事や筋力トレーニングによるボディメイク指導者という職業を目指してフィットネスクラブというところに勤める人は多いのですが、実際に現場で求められる仕事は「ただその場に立って見ているだけ」の監視員だという実態を知って辞めていく人もまた多いです。
どこの業界でもある職場のミスマッチというものなのでしょうが、なぜこういったことが起こるのかを考えてみましょう。
まず、
フィットネスクラブという名前がその答えの一つになっていると考えられます。「トレーニングジム」ではなく「クラブ」と呼ぶのはなぜでしょうか。
フィットネスクラブに限らず「〇〇クラブ」だとか少しオシャレに「〇〇倶楽部」と書くものなど、社交場として人が集まってくるところを「クラブ」と表現します。
「銀座の高級クラブ」と書けばそれだけで、ホステスが付いてお酒が飲める場所を指していることが明白です。
つまりフィットネスクラブというのは運動好きな人たちが集まるところを示しているわけです。その中には「トレーニングをしたい」という人も訪れますが、多くは「運動する」という名目の元、友達同士で集まっておしゃべりをする場として利用している人や、社会とのつながりの場として友達を作ろうとして施設を利用しに来ている人などです。
高齢者にとっては、社会とのつながりが無い「孤独状態」や「仕事を辞めてやることが無い」という状態は非常に惨酷なもので、
「目の前にある膨大な時間をどう消費していくか」ということに四苦八苦してしまうという人も多いようです。やることが無いという状態はそのまま生きがいの無さにつながり、それが進むと精神を破壊してしまうことにつながります。
例え「やらなくてもいいこと」であっても建前でもいいから「運動する」という「やらないといけない理由」を作り、そこに集まる人たちと関わることで健全な精神状態が保たれるということはフィットネスクラブを定期的に利用する人達が一番理解していることでしょう。
この様に考えれば、そういった場所でスタッフとして働く場合に何を求められるかが解ってくるでしょう。
指導者としてトレーニング指導をしたりアドバイスをしたり、というよりは倶楽部の快適な空間作りを行うことの方が優先度が高く、むしろそちらの方が重要だということです。
美味しい料理を提供すること、というよりは空いたお皿やグラスをタイミングよく片付け、テーブルをキレイにすることが優先と書くとイメージしやすいでしょうか?
せっかく料理の腕前を磨いたり知識を増やしたとしても、その場に集まる人たちがそれを求めていなければそういった知識と技術は価値を持ちません。
ですからフィットネスクラブでトレーナーをするということが難しくなるわけです。